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2007年6月30日 (土)

充実した休日

今日は美術鑑賞、美食、買い物と私の好きなこと満載の充実した1日でした。

朝10時にバーゲン初日の柏そごうのかねまつで靴を2足買い、高島屋でお中元を贈り、大学の同級生のchococakeさんと湯島で待ち合わせて、気になっていた池之端にあるレストラン『コーダリー』でランチしました。

西洋美術館に行く前にランチをするところを探していたところ、上野近辺はなかなか気のきいた店がないのですが、たまたまこれはいいかもと行ってみたのが『コーダリー』。

16席しかないのですが、2800円のプリフィックスのランチはどれも美味で雰囲気もよく、ソムリエの方も素敵で、ワインが進み、2杯ずつワインを飲んでしまいました。それでも5000円弱で、とってもいい気分で過ごせませした。これはかなり穴場で隠れ家的。上野で美術鑑賞の前には、また是非寄ろうと思いました。

ランチの後は、不忍池を通り、西洋美術館までゆっくり歩いて15~20分程。久しぶりに不忍池に行きましたが、なかなかいい都会空間だと思いました。

西洋美術館では“パルマ イタリア美術、もう一つの都”を見ました。イタリアルネッサンスというとフィレンツェの芸術が浮かんでしまいますが、イタリア各都市でそれぞれの流れの中でルネッサンスの花開いた時期があったのだと再認識できる内容でした。一昨年、パルマに立ち寄った私ですが、プロシュートを食べて、本場のパルミジャーノレッジャーノを売ってるところをみて、白のブーツを買って、唯一洗礼堂を見ただけだったので、パルマには他にもこんなにいいところがあったのだと思い、次はコレッジョの天井画が美しい聖パウロ女子修道院に行くぞと心に決めた私でした。私は今回の作品の中ではコレッジョと中世的でなく現代的画風にも見えるバルトロメオ・スケドーニの絵をとても気に入ってしまいました。明日終ってしまいますが、新宿でやってる“ペルジーノ展”と合わせて、押さえておきたい絵画展です。

今日はおいしいものを食べて、古の人が遠い地で描いた絵に思いを馳せる、とても充実した休日でした。

そのあとはセール初日の銀座の街へ、さらに繰り出した私達。私は前から狙っていたバナリパの麻のシャツやミリィ・カレガリの水色のテグスのネックレスなどなど(他にもたくさん)、狙っていたものが手に入り、“バーゲンは初日に行くべし”と再実感した1日でもありました。

そしてさらに、持つべきは美食でお酒が飲める、知的な友人と実感したのでもありました。

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2007年6月23日 (土)

読書に耽るとき

ここのところ、ブログ更新をせずに申し訳ないです。

毎日、もちろんちょっとしたことは起こってるわけで、書きたいなと思うことも時にはあったのですが、やり過ごしてしまいました。

そうここのところ、私は唯一できた自分の時間は読書に耽り、今週は先週と打って変わって、毎日11時過ぎには眠るという、なんとも健康的な生活を行っていたのです。

私が読書に耽る、ここのところの最大の理由は”いろんなことをあまり(深く)考えたくない””心静かにしていたい”という心境で、ひたすら本を読んでいたのです。考えてみれば、本を読むことを積極的に行うようになったのは、高校生ぐらいだと思いますが、その頃からそういうところがあった気がします。

大学受験が終って、合格発表を待っているときにも、もう受験勉強が終ったんだから、とりあえずテレビ見るなり、遊びに行くなりすればいいのに、私はひたすら志賀直哉や夏目漱石など近代文学的な本を読み漁ったのでした。その心が静まっていく感がたまらなく好きになって、その頃から本を読むことが本当に好きになった気がします。

Nec_0004  そして、今の私も通勤の時間の行きは”Happy2 Hawaii(ハッピーハッピーハワイ)”というなかなかナイスな口コミねたが満載で、読み物として面白いハワイ本。帰りは山崎豊子さんの代表作”沈まぬ太陽”を読んでおります。後者は只今元組合委員長の主人公恩地元ががケニアに流されたいきさつが終ったところです。

本の内容はともかく、今の私が読書に耽るのは、先日起きた10年来の友人とのケンカが原因で...。昨日は雨だったので電車を降りてから、自転車を使わずに歩いて家までの道を帰ったのでした。本をカバンにしまった私は雨の匂いのする道を歩きながら、無性に悲しくなってしまって。

お互いにプライドが高いから、なんとなく気まずくて、会えないんだよなと思い、会うきっかけを作れず、またいつかのように自然と何年か、会わない日が来るのかと思うとなんだか落ち込んでしまって。この2,3年は一緒に遊んで楽しかったな、などと思ってしまって、無性に悲しくなったのでした。

そんなことを考えたくないがためにやってきた読書だったのですが....落ち込みます。さらにブログを書かなかったのもそこのところが理由にあったのです。ごめんなさい。

そんな、ここのところがっくりきてる私は、気分転換に髪を切りに行くことにしました。夏に向けて、15センチほど切ろうかなと思います。

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2007年6月11日 (月)

『本格小説』を読み終えました

先日からブログに書いていた水村美苗さんの『本格小説』を読み終えました。

51zq4mq58cl 結構のボリュームで上下巻あるんですが、面白かったですねー。

戦後すぐから今に至るまでの時代の中で、東太郎というアメリカンドリームをつかんだ日本人実業家を辿っていくうちに、そこに大きく関わった、隣り合わせに住まいを構えていた三枝家と重光家とその中でも大きく東太郎と関わった三枝家の次女夏絵が嫁いだ宇多川家。そのさらに娘のよう子と宇多川家に”女中”として働いた土屋冨美子と東太郎がどのように生きたのか、そんな女達の人生も書かれているのです。

はじめは作者水村さん自身が家族でニューヨークに赴任していたときに出会った東太郎の印象が書かれ、そのあとに壮年になった東太郎と軽井沢で出会った祐介という青年がアメリカで講師をしていた水村さんに運んできた土屋冨美子が語った東太郎とよう子、そしてそれを取り巻く人々の話は主に水村さんがアメリカで東太郎と会う前のことが中心となります。

東太郎が宇多川家の敷地の中の貸家に親戚家族と身を寄せて、程なくよう子と子供ながらにどんどんと二人の世界を広げていくことから始まります。親戚に引き取られた太郎はことごとく、虐げられ、友だちもおらず、いつもみすぼらしい姿でいるのでした。それを宇多川家の先代の後家であるおばあさまが太郎に愛情をかけ、他人とは思えないほどによう子と分け隔てなく、かわいがったのでした。

51prfnw7h4l もちろん、よう子の母夏絵の実家の三枝家は身分違いの二人が兄弟のように過ごすのを良く思っていなかったので、それをさとられないようにサポートしていたのが”女中”の冨美子でした。太郎とよう子も高校生となり、太郎をかわいがった宇多川のおばあさまが亡くなり、北海道に転勤で移った宇多川家と太郎は離れ離れになりましたが、よう子と太郎は隠れて文通をしていたのでした。大人になって男女として惹かれあう二人ですが、軽井沢でのある”不始末”をきっかけに会わなくなってしまいます。そして、太郎はアメリカに発ったのでした。

その後、太郎はアメリカで飛ぶ鳥を落とすように、成功して行き、億万長者になったのでした。その太郎の話を祐介が水村さんに運んできたときには、すでに東太郎は行方知れずになっていたのです。

アメリカで成功したあと、ビジネスも兼ねて日本にも度々帰国するようになった東太郎とよう子は再び逢うようになってました。すでによう子は三枝家と成城、軽井沢の両住まいを隣に構えている重光家の雅之と結婚していたのです。その二人の間には深雪という娘もいました。雅之も東太郎とよう子の中を容認するように3人は不思議な関係を築いていたのです。

土屋冨美子は宇多川家が札幌に引っ越すと同時に結婚をしましたが、すぐに離婚し、太郎がアメリカに発って少ししてから、再婚したのでした。それでも冨美子と三枝家の縁は切れず、さらにことあるごとにサポートしていた東太郎との縁も切れずにいました。秘密裏に東太郎が買い取った宇多川家の追分の別荘の管理や、東京の事務所の仕事を引きうけ、経済面での関わりもありました。

よう子の母方の三枝家の軽井沢の別荘で祐介がよう子の母夏絵を含む三枝三姉妹と出会った頃には、よう子も雅之もその他多くの三枝家と重光家、宇多川家の人が亡くなってしまっていました。そして、その時に三枝家の軽井沢の別荘や追分の宇多川家の別荘を所有していたのは東太郎なのでした。太郎が日本に別れを告げるその夏にそれらの別荘は土屋冨美子に譲渡されたのですが、東太郎と冨美子というのも、大きな関わり合いを持っていたことが、その事実を知り抱えきれなくなった三枝家の三女冬絵から祐介に知らされたのでした。これはとても驚く展開なのですが、実在する人物の話だという小説の中に語りを信じると、とてもリアリティがあるように感じられるのでした。でも実はその語りさえも、小説の一部なのかもしれないとも思うのですが、実在であるかどうかは大きな問題ではないと私は思うのです。

戦後すぐの混沌とした時代が終わりに、日本が高度経済成長をしていき、バブルがはじけて今に至る長い時間の中で、他人である東太郎に愛情を持って関わっていった人々のやさしさと、出生などによって差別を受ける生きづらい時代の中で、アメリカに飛び出し成功した東太郎の強さと、こころの闇みたいなものがどこから生まれていたのかということを、紐解く大きなドラマなのです。そして、そこには狂おしいほどのよう子との愛が大きく関わっていたのでした。そのよう子と太郎の愛というのが長い時間をかけたものであり、運命的で本当に深いのです。

さらにこの物語の中には、いろんな人間模様が渦巻き、交錯しあっているのですが、ある意味それぞれが他人に対して、言い方はおかしいかもしれませんがお節介で、人間らしさに溢れてもいるのです。

すごく巧みな構成で出来ているし、水村さんが好んだ日本近代文学的な語り口がなんとも心地よいのでした。これが本当にあった話なら、すごいなーって思うし、それぞれのやさしさと切なさと淋しさがワァーと押し寄せてくる物語なのでした。

是非、読んでいただきたいです。

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2007年6月10日 (日)

別れ際の握手

誕生日には”おめでとう”というコメントを、ありがとうございました。いくつになっても嬉しいです。

誕生日以降、仕事のことでゴタゴタしていて、気持ちを落ち着かせるためにも通勤電車では、心がけて先日ブログに書いた『本格小説』を読んでいて、ブログの更新にだいぶ間があいてしまいました。

Nec_0003今日は朝からオスカー・ピーターソンのピアノの音色を聞きながら、あと残り100ページ程になった『本格小説』のクライマックスを読んでいます。その小説の中で夏の軽井沢に大雨が降りつけるように今、外は雷が鳴り大雨。小説の中に舞い込んだような気分です。

先週は水曜から昨日の土曜まで毎夜飲み会。さすがに疲れました。以前のプチ禁酒宣言もどこへやら、“酒のない人生なんて、人生の楽しみを半分失ってるー。”とか調子に乗って言ったりして、飲んでました。アホです。正直、酒断ちは無理らしい。

それはさておき、昨日初めて、サシ飲みすることになった男の同僚に、次は当面なさそうだし、おいしいカイピリーニャを楽しく飲めたし、”ありがとう”と言う気持ちも込めて、別れ際に握手をしようと手を出したら、一瞬手を握ってさっと引っ込められてしまったんです。

私、そんなへんなことをしたかなと一瞬思ってたのですが、気にしていなかったところ、彼は気にしてたらしく、あとで冷たい対応だったかもとメールが着ました。“たしかに変な感じ”だったかもと思って、今日はそんな別れ際の握手について、考えていたところでした。

たしかに別れ際に握手する人って、いつも会っている人とかでなく、たまにしか会えないとか共有の時間をそうそう過ごす機会がない人が多いと思います。さらに、当分会えないと思う人だったり、すごく楽しく時間が過ごせて良かったと思えたり、素敵なお店でたいそうないい思いをさせてもらったとか、私の場合、そういうときに握手するかもなって思いました。お互いに大人で、それなりの距離感がある気がします。

でも考えてみると日本でそんなことをするのも、変な気もするし、ちょっと下心があるおっさんぽい気もしてきました。

海外に仕事で行くと、当たり前のように握手するし、別れ際だけでなく、初めて会ったときにも、仕事の終わりの別れ際には握手しながら、チップを渡したりするから、なんとなく当たり前な自分の感覚もあったし、日本人でも何人ともしてきたので、変だとも思ったことも考えたこともなかったんです。でも昨日の握手を求めたときの相手のたじろぎ方を見て、かえって手を出したほうが気まずくなるって思いました。こういうのは初めての経験だけど。日本でするのは変なのか?!

いままでで、別れ際の握手で印象的だったのは、もう何年も前だけど、二人でお酒を飲んで、その人とは当分あえなそうだったし、別れ際に”ありがとう、楽しかった”と手を出したら、予想をはるかに越えて、グーッと強く、手を握られて”僕はもっと、うめめだかさんと一緒にいたいんですが。”と言われたときには、かなりぐっと来ましたね。その握られた手があまりにも強すぎで、年下で立場的にはいつもちょっと軽く見ていた彼が有無を言わさないような強さで手を離さないときには、”私も一緒にいたい”と言葉にしてました。それも、かなり酔っ払っていた日の出来事だと思いますが、懐かしい、いい思い出です。

恋人同士でも、人目をはばからず、別れ際にキスするのは、日本社会の大人的にはどうかと言うのもあるので、握手するっていうのもあるのかも知れないですね。そう考えると、日本人同士の日本での、握手は親密なものなのか?なにも考えずにしていましたが、考えてしまったのでした。

皆さんは、握手してますか?

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