« 芸術の秋 | トップページ | どちらも半ばですが… »

2010年10月18日 (月)

新聞記事について考える

201010171817000  日曜日の読売新聞に連載の鎌田實氏(医師)の”見放さない”というコラムがあります。昨日のその記事では5年前にイスラエル兵に撃たれて、脳死状態になったパレスチナの12歳の少年の臓器提供が心筋症であったイスラエルの少女に行われたということについて。そのイスラエルの少女は現在17歳で、臓器提供により心臓移植したおかげで、学校にも通えるようになりました。将来の夢は医師になって、人を救うこと。その少女の家には殺された少年アハメド君の写真が掲げられているそうです。

 鎌田医師は殺した側の国の子供を救うためによく臓器提供を承諾したと、そのお父さんの気持ちを聞きたくてパレスチナに行き、その17歳の少女にも会ってきたそうです。

 詳しくはぜひ読売新聞の記事を読んでいただきたいところですが、私もドナーカードについてもう一度考える時が来たような気がします。

 「ドナー」、「臓器移植」という言葉を聞いたのは小学校4年生のころだったと思います。音楽の先生が私たちに向かって話しました。今から思えば、なぜあの先生は私たちに熱く語ったのでしょうか?彼女の身近にあったことなのかもしれません。それ以後もメディア以外で聞くことはなく、そのあとにも先にも直接その話を私にした人はいません。

 子供ながらにそういう仕組みがあることを知りました。それから約27年。臓器提供への意思表示はとてもしやすくなりました。自発的にパンフレットを取り寄せなくても、健康保険証のカードの裏にサインすればいいだけになりました。これも私が仕事復帰してからのことなのでこの1,2年のことだと思います。

 この記事はまさに”琴線に触れる”という言葉がふさわしい様な状況に私をさせました。実のところ、私はその健康保険証にまだ何も書いていなかったのです。なぜかというと、そのことを考えもせずにサインをすることはできなかったので、そのままになっていたのです。だから、あらためて考えてみようと思います。

 

 

|

« 芸術の秋 | トップページ | どちらも半ばですが… »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122323/49781934

この記事へのトラックバック一覧です: 新聞記事について考える:

« 芸術の秋 | トップページ | どちらも半ばですが… »