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2010年11月14日 (日)

『ボヴァリー夫人』を読み終えました。

今日、ちょうど『ボヴァリー夫人』を読み終え、昨日読めずにとってあった新聞小説『母の遺産』を読むとそこにもちょうど『ボヴァリー夫人』のことが出ていて、「やっぱり…」とほくそ笑んでしまいました。

そこには“小説を読みすぎ、人生に華やかなものを期待しすぎるのを「ボヴァリスム」と呼ぶようになった”とありました。またボヴァリー夫人の顛末を読んで“自分のことが書かれたのではと思った女がフランス中にいた”とも書いてありました。ふむふむと読んでしまいました。

「ボヴァリスム」という言葉は日本の現代女性にも十分当てはまる人がたくさんいるのではないでしょうか。私にも十分そういう傾向があります。

それにしても『ボヴァリー夫人』の終わりはもの悲しく、主人公ボヴァリー夫人ことエマが狂人的に愛したロドルフ、レオンは最後には彼女に美しさには惹かれながらも嫌気がさし、心が彼女から離れていき、金の切れ目が縁の切れ目のごとく、彼女の金の無心によりそれは決定的なものになるのでした。

そんな官能におぼれ、逢瀬の時間のために費やされたお金とそれにつけこんで騙されたお金とで夫に秘密の借金がふくれあがり、愛した男たちにも冷たくあしらわれ、毒を飲んで死んでいくエマは因果応報というには少し可哀想に思います。

夫シャルルは凡庸な田舎医者ですが、夫してはとても善良で申し分ないのです。彼女の死を心から悲しんでくれて、本当に愛し続けたのは彼だけですし。でも『ボヴァリー夫人』のあとがきにあったようにこの「“(夫)シャルルの欠点は《そこにいる》ことだ”とチボーテがしんらつにいったのはまことに深刻な指摘である」 とあるように夫婦関係もボタンが掛け違うと悲しい結末になるのはいまもむかしも変わらないことのようです。『ボヴァリー夫人』の舞台はフランスのルーアンから少し離れた小さな町ヨンヴィル、アンリ4世の時代のこと。

時代は違ってもいまでも読みつがれる主題であることにこのフローベールの小説の奥深さを感じざるえません。

そこそこにボリュームはあり文体も古かったのですが、全く飽きずに読むことができました。一度読む価値はあると思います。

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