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2011年3月25日 (金)

追憶・原子力発電所のこと

私が小学校5,6年のころの話です。1985年くらい。そのころは週休2日でなく、土曜日は半日昼食なしで学校は終わりでした。いわゆる"半どん"ってやつです。その頃、専業主婦だった母が仕事を再開していたので、(同居していた祖母はそのころの1,2年、伯母の家に行っていたらしい)土曜の午後 、私は一人で留守番をときどきしていました。そんな自由に過ごせる土曜日がくるのが楽しみでした。土曜の午後はたしか13時くらいから17時までTBSラジオで久米宏さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組を聞きながら、ゆっくり過ごすのが子供ながらに楽しみでした。たしか映画コーナーではおすぎとピーコ、中継では毒蝮サンダユウ(ウルトラセブンのフルハシ隊員)が出ていたような気がします。15時までは毎回何かテーマがあり、そのテーマに沿った話がすすめられていました。ある回でテーマが『死の灰』に関わるテーマだったときがありました。まるではじめて聞く内容で、興味深いものでした。
名優ジョンウェインは死の灰によって亡くなったと言われていることもでてきました。そのときにもちろん原子力発電所の話もでて、その危険性についても議論がなされていました。私は学校の社会の教科書をさっそく開き、その話を確認してみたのです。その教科書によれば、その当時の日本の電力割合は火力が中心で、原子力は0.1%未満でした。ラジオの話のとおりでした。子供ながらに増えてほしくないと思ったし、その後危険性の議論はその建てらる場所の反対運動を通してしか、あまり伝わってこなかった気がします。いえ、私が子供すぎて、聞き流していたのかもしれません。

そんなこともすっかり忘れて、私が青春を謳歌して大人になる間に、いまや原子力の割合は全体の25%ちかく。気がついたときには今のこの現実です。気がつけば、そのときに小学生だった私は、40を前にした一端の大人です。無関心でいた自分に少しあきれます。早くからわかっていたのに。福島で起きていることは他人事ではないんだと思います。

これが私の原子力についての追憶です。

被災地の皆様にはこころよりお見舞い申し上げます。常に被害に合われた方に気持ちを寄せて、自分で出来る限りの協力をします。

放射能汚染の影響がじわりじわりと出始めています。情報が錯綜しています。それでも、子供がいると用心に越したことはないと思いますが、すでにミネラルウォーターも手に入りません。

地震があり、同じ行政区の町で家屋の損壊もあり、千葉とはいえ被災地になっているエリアが近辺にあります。私は地震の3月11日は会社で埼玉の実家にいたため、なんとか4時間歩き、たまたま通りかかったバスに乗れ、5時間ほどはかかりましたが実家につくことができました。子供のことが心配だし、電話はつながらないままに、充電はなくなるし、参りました。
実家から自宅に帰ると食器は3分の1は割れました。足の踏み場のない状態に言葉を失いました。それでもいま多少の不便があっても、普通に生活できることを有り難く思います。

地震で、放射能で、非常事態の毎日に何か見失いそうになることがあります。それでも、少しずつ今まで積み重ねてきたことをさらに積み重ね、いままでしてきた文化的な活動もけして無意味ではないと思いたいです。

これは自分自身にむけて。

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コメント

うめめだかさん

まず何より、今回の震災でうめめだかさんのご家族、ご実家の方がご無事であったこと、本当に安心しました。
5時間の帰路、家族と連絡が取れなかったうめめだかさん、さぞかし、不安だったと思います。

私は震災の2日前、父が入院、手術をすることになったので、急いで、家族説明を受けるべく、実家に戻りました。
そして、2日後の震災、もう何十年も実家にいながら、地震の揺れを感じた事もなかったのに、初めて実家で地震を経験、これはただ事ではないと思い、テレビをつけて、実情を知りました。

そして今日、自分の明日の診療のために震災後初めて上京。
家に戻り、思った以上の部屋の惨状に震えが止まりません。
ひとりで片付けを終え、大家さんに無事を報告し、ベランダから見た他の家を眺めていたら、全く別の風景に見えました。
これが被災地だったら、どんな想いでいられるでしょうか・・・

この場をお借りして、被災された方々に心より、お見舞い申し上げます。
私も、できる限りの協力を惜しみません。
そして、早く皆さんの心の傷が癒えますように・・・


投稿: chococake | 2011年3月27日 (日) 18時36分

chococakeさん
コメントをありがとう。ご実家にかえられてたときに、地震にあったのね。でも一人でなくて、よかったかも。
東京に帰ってからも驚いたでしょ。普通家具も固定はしないし、階が多少でもあがると揺られ方はかなり違うみたい。

心配なことが多いときに、この地震。大変だったね。

私も最初はあまく見てました。翌日も休日返上で旅先にお客さんを送り出すことだけに夢中になって。それでも帰国してクレーム言われたりして。

ほんとにみんなのこころが癒される日はくるのかな。いまは先が見えないけれど、少しでも癒される日がくるよね。なんとか、私にもできることをしたいです。

投稿: うめめだか | 2011年3月28日 (月) 08時31分

お久しぶりに拝見したけれど…、今回の震災、放射能の恐怖に皆が怯えている今、心が痛む内容です。
本当にうめめだかさん、ご家族の皆様無事でよかったです。
ここ埼玉もかなり揺れたけれど、本棚の中の本だけが崩れ落ちるぐらいで済みました。その時は下の子と二人だけで居たので、慌てて玄関のドアを開けっ放しにしてみたり、抱っこしながらもこの先どう行動したら良いのか戸惑うばかりで何もできない現実。
普段全く備えていなかったことへの自分への失望と反省することしきりです。
その後も計画停電や断水で、色々とリズムが崩れたりもしていますが、被災地の方を考えたら当然の協力といえますね。
ガソリンや水は一時期大変なことになっていましたが、今はかなり元の状態に戻ってきています。
ちなみに主人の実家(福島)も無事でした。義妹とその子供は原発に近いほうなので実家に避難しているようです。身内にまで被害が及んでくると尚更今回の震災の大きさに驚きと不安を感じます。
今こうやって普通の生活に戻りつつある自分と、同じ時期、避難所生活をされている方々の不公平さに心が痛みます。

なんだかとりとめも無い文章を書いてしまいましたが、一刻も早い復興を願うばかりです…。
うめめだかさんとまたゆっくり話したいです。

投稿: カオル | 2011年4月 7日 (木) 19時17分

カオルさん
カオルさんのご家族、ご実家のみなさんがご無事で何よりです。義妹さんのご家族は引き続き心配ですね。自分のことに置き換えたら、ほんとうに不安だと思うので、退避など早く行政で手立てを考えてほしいです。
実はいまも地震があって、電車は不通。駅の始発電車なのに、ずっと待ちぼうけ、たぶん近くの車庫なんだから、駅にきて、乗せて安全確認できないものなのか、ちょっと疑問。
愚痴ってしまいましたが、下のお子さんとせめて一緒で良かった。上のお子さんも心配だったでしょ。

私はなんだかモチベーション、下がっちゃって。子供といることの大事さを実感してます。

私も何も備えてなくて、反省してます。昨日からまた大きな地震が始まって、それなのにまた揃えてないものも多くてだめです。

投稿: うめめだか | 2011年4月12日 (火) 08時46分

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