« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月24日 (月)

柚子の自家製マーマレード

また今年も、30年来の柚子の木(昨年突如実をつけたのですが)が実り、10個程収穫でき、そのうちの5個程使い、マーマレードジャムを作りました。喜界島のキビ砂糖を使ったので、去年の黒砂糖で作ったものほど黒くならずに綺麗な色にできあがりました。


昨日収穫して、苦みを取るために水にさらしたりする時間をほとんど取らなかったので、やや苦めになってしまいました。そこがやはり失敗でした。2瓶できました。

それにしても柚子の木の棘って、すごいんです。刺さりながら、収穫しました。もう今年の収穫はこれで終わりなのかしら。
20141123202927_deco

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2014年11月23日 (日)

無駄にしないこと

先日、修理に出した30年来の椅子が戻ってきました。実は藤で編まれた背面がボロボロで廃棄しようとしていた古い方の4脚。結局うちにはコスガのカントリーシリーズの椅子が8脚もあります。微妙。でも、とても綺麗に直って、とても嬉しかったです。良心的な修理屋さんで近所なので、ただで配達してくれ背面と座面張り替えで1脚13,000円くらいでした。Shot_1415959158450_4

最近時間があれば、まずすることは断捨離です。要るものと要らないものを見つめ直す時間。こだわるものとこだわらないものを見極める作業かもしれません。大事なものは直してでも長く使う、買うときも多少高くても長く大事に使えそうなものを買いたいと思うようになりました。

余談ですが、仕事で、キューバのオーガニック農園やファミリードクターの視察を兼ねたツアーを作っていて、吉田太郎著「世界がキューバ医療を手本にするわけ」「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」を読んだり、映画「ブエナビスタソシアルクラブ」を見たりしました。

キューバの情報は日本に入りづらく、この消費社会に背を向けたカリブの国の幸福論みたいな。少しだけ知ることができました。

いまだに走るクラッシックカーのような車、人々の言葉からも消費社会よりも心、感謝の気持ちと言う言葉が本からも映画からもシナリオでなく、偶然にも同じ言葉が出てきます。

いったい、この国は?と急に興味が湧いてきました。これは革命の歴史まで紐解かないとだめそうです。

自分の生活はまさに消費社会の申し子のようなものの溢れよう、なにを大事にするのか、ちゃんと選択できるようにならないと、と思いました。

まずは身近なものを無駄にしないこと、反省をこめて、実践しようと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月15日 (土)

私的回想 1989

私的回想 1989
今日は久しぶりに港の見える丘公園にきました。「須賀敦子の世界展」がやっているからです。

それにしても港の見える丘まで上がるのは何年ぶりでしょう。下の元町までは行ってもあがることはなかったので、おそらく、10年以上ぶりです。いやもっとかも。

よく港の見える丘にきたのは1989年のベイブリッジ開通の1,2年。

1989年は1月に昭和から平成に年号が変わり、11月にはベルリンの壁が崩壊しました。ベイブリッジは9月末に開通しました。

あの頃の私は高校1年生。人生で初めておつきあいした当時の彼とよく開通したばかりのベイブリッジを眺めにこの公園に出掛けたのでした。いまじゃ信じられませんが、ベイブリッジに車を止めて港を眺めたりしました。(ちなみにベイブリッジは高速道路です!その当時はみんなそうしていました。)

あの頃はなんだかおとぎの国のように見えた公園が大学生になり、その後も行くたびに特になにも感じなくなっていきました。それから行くこともなくなり、もう何年も。

あの頃の私はまだ子供で文学青年だった彼と文学について全く話すこともなく、なんだかまともな会話も出来なかった気がします。大学も3年を過ぎた辺りからやっと読書するようになったのでした。彼が好きだった神保町にもよく行くようになったし。

ずっと心の中に、あの文学青年だった彼ともう少し大人になって再会していたら、どんなに話ができただろうとか、当時の担任だった社会の先生があのベルリンの壁の崩壊をどんな風に感じたのか、自分の思想を押し付けたり、どんな思想を持っているか披露する人ではなかったけれど、確固たる考えのある人だったので、聞いてみたかったなど、たまに考えたりします。

生きていても会いたいと思っても会えない人というのが、何人かいますね。恋愛感情のひきずりというわけでなくて、単純な人間関係を取り戻したくても会えなくなってしまった人。最近、このままどうにもしなければ、会えないまま人生が終わってしまうのかもと思ったりします。いつもは日々の生活ばかりで、そんなことを考えている暇もないんですが。

「多崎つくる」のようになにかの掛け違いや知らない間に他人を傷つけていたりするケースがあったり、単なるプライドで、自分から切り出さないまま、会わなくなってしまったなど、原因は無数にあると思います。

久々に港の見える丘に立ったら、ふと25年前の記憶がよみがえり、なんだかノスタルジーにやられてしまいました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年11月 9日 (日)

1989年という年

1989年という年
1989年にベルリンの壁が崩壊して、今日ちょうど25年が経つ。

ベルリンに仕事で行くようになってから、すぐに覚えた1989年という年号。それまでの私といえば、「ベルリンの壁」がどこに張り巡らされていたかも知りませんでした。「ベルリンの壁」は西ベルリンの周りを取り囲んでいたと、当地ですでにモニュメントとして、金属の軌道になっている壁の痕(あと)をみて知ったのでした。

昨日の夕刊には現地時間7日夜、ドイツ紙ウェルトが主催する「ウェルト文学賞」を村上春樹氏がベルリン市内で受賞したことが書かれていました。現地での動画を探してみましたが見つからず、あくまでも新聞の抜粋ですが、村上さんのスピーチが掲載されています。

そのスピーチの中で、(日経新聞夕刊から引用)“今の世界には「民族、宗教、不寛容といった壁」があると指摘。(中略)自分たちを守るためにあるはずの壁は時には暴力的に他者を排除することになり、その典型がベルリンの壁だったと説明。「より良い、より自由な世界」の物語を語り続ける努力をすることが大切だと訴えた”
とあり、(読売新聞の夕刊の引用)“村上さんは「小説家にとっては壁は突き抜けなければならない障害」と指摘した”ともあり、“「このメッセージを香港の若者、今壁に立ち向かっている若者たちに贈りたい」”と締めくくったとされています。

私はこの2紙の小さな記事にズンと胸を打たれました。

日本人にとっては民族、宗教の壁は感じられない人が多くても、不寛容の壁というのはどこにでもあると自分に置き換えて、改めて感じたのでした。

私が村上さんの小説が好きなのは単なるストーリー性だけでなく、そんな思想を持ち続け、壁を打ち破ろうとしているところにあるんだと、気づかされました。

それにしても、あれから25年。いつも忘れられない年号。1989。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »