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2015年11月22日 (日)

「流」を読みました。

Ryo めったに、芥川賞とか直木賞受賞作は読まないのですが、「流」(りゅう)に関しては、なんとなく興味がありました。私の祖父母も満州という、大陸の地で生きた時期があり、私自身も自分のルーツとして、戦前、戦中、戦後の日本と中国を描くものがあれば、フィクションであっても一つでも多く読みたいというのがありましたし、私が唯一、欠かさず見ているBSの久米書店で、この本が紹介されていたのも決め手でした。

この本は、主人秋生(チョウシェン)が祖父の殺害をきっかけに、その祖父の犯人探しの中で、祖父をより知ることになり、家族の歴史をも知ることになる話です。また、秋生の、特に思春期以降の成長も描かれています。まあ、それだけではないんですが、ざっくり言うとそういう感じです。

私は、この本を読んで、自分が思い違いしてたというか、知ろうとしてなかったと気づくことがいくつかありました。まず、戦争の大義名分は個人落とすと、この本で著者が書いているように、例えば、こっちは飯を食わせてくれるとか、仲間がこちらにいたとか、こっちに世話になったなど、些細な理由であったりする場合も多かったということ。あとは、台湾にいる人は皆んな国民党信奉していた人ばかりだと思っていたこと。あまり、そういう観点で、私は掘り下げて考えたことがなかったんだと思いました。

このストーリーの中でも、一見すると破天荒で、戦中は極悪非道だった祖父でも、秋生の中の祖父との記憶を遡ると、何か心穏やかな時間が思い出されるようなところがあるんですが、そういう、幼い頃の記憶は平和で安心感があり、そういう記憶を振り返ることは、防衛機制、「フロイトが唱えた退行という概念は、耐え難い出来事に見舞われたとき、人の心がより幼い発達段階へ戻ること」(本文より引用)の一種かもしれないと思ったり、それを自分に置き換えたりしました。小学校時代の同級生とゴルフすることも、私にとっては防衛機制の一つなのかもしれないとか、逆に同級生にとってもそうなのかもしれないとか。

先日、全く違うジャンルの東京子ども図書館の館長の松岡享子さんの新書「子どもと本」を読んだところで、そこにも防衛機制がでてきて、たまたま最近、遭遇率が高いので、なんだか考えてしまいました。

この本に話を戻しますが、なんと言っても、最後20ページくらいがグワーっと、とても良いので、それを楽しみに読んでいただけると良いかと思います。

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