2017年5月10日 (水)

私も“オリーブ少女”だった!?

みなさん、1980年代から90年代に人気のあった雑誌『オリーブ』を覚えてますか?

2014年に発刊された酒井順子さん著の『オリーブの罠』は、雑誌『オリーブ』について、書かれています。酒井さんと言えば、『負け犬の遠吠え』を書かれたことで、良く知られているのではないでしょうか。そういうこともあって、時代を掴むのがすごく上手!という印象があり、でもちょっと苦手・・・な存在でしたが、酒井さんが、雑誌『オリーブ』誌上で、ライターとして出ていたマーガレット酒井だったなんて・・・。ちょっと、びっくりです。
そんなことも書かれているこの本ですが、なんとも懐かしく雑誌『オリーブ』を思い出しました。長らく、実家に捨てずに残されていましたが、さすがにお嫁に行くときには処分しましたが。

実際、この本で、雑誌『オリーブ』が創刊されたのが1982年という事を知りました。そして、2000年に休刊、月刊となって復活後2003年に再度休刊になったそうです。なんと、月に2回も発売していたんですよ。あー、『Hanako』とかも思い出します・・・。いまは、月1以上発売する雑誌って少ないですよね。創刊当時、私が10歳で、読んでいたのが小学校高学年から中学生までなので、まあ、初期に近いころからとなるようです。

酒井さん曰く、(以下、引用)
 1 初期のアメリカ礼賛
 2 付属校文化とリセエンヌ文化の共存時代
 3 ナチュラル&カルチャー時代
ということで、私はちょうど、この 2 が印象深く、影響を受けた気がします。やたら、リセエンヌ風とかイメージしてみたりしましたし、ばりばりの公立高校でしたが、なんだか付属校文化というのに憧れがありました。誌面の付属校の子のスナップなんかをみると、やっぱりお洒落だなと思ったり。正直、高校に入ってからは、あまり『オリーブ』を読んだ記憶がありませんが(どうだったかな??曖昧・・・。たまに『fine』とかも読んでました。笑)、バリバリの埼玉県立の公立高校に通う私でしたが、やっぱり都内の付属校生は違うよねと、夏期講習で、河合塾の東北沢本校や千駄ヶ谷校に通いながら、実感したのでした。

そう考えると、私もいっぱしの“オリーブ少女”だったのかもしれません。『オリーブ』で、たまに横浜が特集されると、目を皿にして読み、横浜中華街、元町、山手あたりの雑貨屋をまわったりしました。

冷静に考えると多感な時期に私も、『オリーブ』に多大なる影響をうけたかも!と思ったのでした。あー懐かしの『オリーブ』。

あなたも、かつての“オリーブ少女”?
Shot_1494401441730

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年1月10日 (火)

「マチネの終わりに」を読みました。

松の内も過ぎましたが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

うっかり、いまこれを書きながら、鏡餅をおろしました。
それはさておき、年末年始に、友人から本をいただいた平野啓一郎著「マチネの終わりに」を読みました。読書家である彼女が薦めるものの、すこし半信半疑ながら読みましたが、とてもよかったです。

主人公はクラッシックギタリスト薪野聡史と、彼と偶然にリサイタルの後に出会った、フランスの通信社に勤務しパリ在住の小峰洋子。二人は、突然にして急激かつ偶然(損害保険の文言みたいですが)に、惹かれあってしまうのでした。

その後、偶発的な出来事や、ある意味裏切り的な行為により会う機会を悔しいくらいに失われ、お互いに心の中心で燻りながら、数年の歳月が過ぎていき、それぞれに結婚や子供をえたりして、日々が過ぎていくのでした。

実際のところ、数回しか会っていない二人ですが、歳月が流れても、共鳴しあう様子や、主人公ふたりと、またそれを取り巻く登場人物たち(特に洋子の父の映画監督ソリッチ)も静的でありながら、いずれも知的な人物が多く、興味深いです。

今年最初の読書でありながら、おそらく今年1番くらいに印象に残りそうな予感のする本です。

本書のあとがきに、助言者としても名前の出てくる、私が唯一CDを持っているクラシックギタリストの大萩康司氏のアルバムで、ブローウェルの作品を中心としたキューバ収録の「11月のある日」を久々に聴きながら、「マチネの終わりに」の世界を今日は振り返りました。
40代には、かなりお薦めかなと個人的に思います。

Shot_1483597140528

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2016年3月26日 (土)

私が、「一〇三歳になってわかること」って、なんだろう?

美術家の篠田桃紅さんの著書「『一〇三歳になってわかったこと』 人生は一人でも面白い」を読みました。

篠田桃紅さんは1913年(大正2年)生まれ。私の祖母が、大正元年生まれでしたので、同じ時代を生きた人です。

祖母が、大正元年生まれで、ハイカラな人だったので、篠田桃紅さんの当時としては斬新だったであろう考え方が出てくるのも、なんとなく想像できる気がしました。

篠田桃紅さんの言葉は、祖母からの言葉とも重なって、私の心にすとんと落ちる気持ちがしました。

この本の中で、幸福ということの考え方について書かれた文章があります。
「幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある。」
「一つを得れば、一つを失うことを覚悟しなさい、ということなのでしょうか。なにもかもが満足な人生はありえないようです。」

なんだか、とても今の私には、腑に落ちます。
旅行会社を辞めて、フリーランスでやることを決めたものの、失ったものを時には後悔したりもしました。そういうのは、とっても格好悪いけれど、そういう自分がいるのも事実です。
でも、失うものと、得るものは裏表の関係で、まさに篠田桃紅さんのおっしゃる通りなのです。

そんなときに、自分の「この程度」というのは、どの程度をさすのかを考えたりします。
私が一〇三歳になったらと考えると、途方もないことのように感じますが、「一〇三歳になってわかること」は、よりいろいろなものがそぎ落とされ、自分の考えとして洗練されていくのではないかと思います。さあ、私は何をわかるのでしょう。
Shinoda_ms
(ETV「墨に導かれ 墨に惑わされ」~美術家・篠田桃紅 102歳~ Webサイトより)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月22日 (日)

「流」を読みました。

Ryo めったに、芥川賞とか直木賞受賞作は読まないのですが、「流」(りゅう)に関しては、なんとなく興味がありました。私の祖父母も満州という、大陸の地で生きた時期があり、私自身も自分のルーツとして、戦前、戦中、戦後の日本と中国を描くものがあれば、フィクションであっても一つでも多く読みたいというのがありましたし、私が唯一、欠かさず見ているBSの久米書店で、この本が紹介されていたのも決め手でした。

この本は、主人秋生(チョウシェン)が祖父の殺害をきっかけに、その祖父の犯人探しの中で、祖父をより知ることになり、家族の歴史をも知ることになる話です。また、秋生の、特に思春期以降の成長も描かれています。まあ、それだけではないんですが、ざっくり言うとそういう感じです。

私は、この本を読んで、自分が思い違いしてたというか、知ろうとしてなかったと気づくことがいくつかありました。まず、戦争の大義名分は個人落とすと、この本で著者が書いているように、例えば、こっちは飯を食わせてくれるとか、仲間がこちらにいたとか、こっちに世話になったなど、些細な理由であったりする場合も多かったということ。あとは、台湾にいる人は皆んな国民党信奉していた人ばかりだと思っていたこと。あまり、そういう観点で、私は掘り下げて考えたことがなかったんだと思いました。

このストーリーの中でも、一見すると破天荒で、戦中は極悪非道だった祖父でも、秋生の中の祖父との記憶を遡ると、何か心穏やかな時間が思い出されるようなところがあるんですが、そういう、幼い頃の記憶は平和で安心感があり、そういう記憶を振り返ることは、防衛機制、「フロイトが唱えた退行という概念は、耐え難い出来事に見舞われたとき、人の心がより幼い発達段階へ戻ること」(本文より引用)の一種かもしれないと思ったり、それを自分に置き換えたりしました。小学校時代の同級生とゴルフすることも、私にとっては防衛機制の一つなのかもしれないとか、逆に同級生にとってもそうなのかもしれないとか。

先日、全く違うジャンルの東京子ども図書館の館長の松岡享子さんの新書「子どもと本」を読んだところで、そこにも防衛機制がでてきて、たまたま最近、遭遇率が高いので、なんだか考えてしまいました。

この本に話を戻しますが、なんと言っても、最後20ページくらいがグワーっと、とても良いので、それを楽しみに読んでいただけると良いかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月28日 (月)

「働く女のお金のルール」を読みました。

Shot_1443399484054_2  先日、有川真由美著「働く女のお金のルール」という本を見つけました。どんな内容かなと思ってみたところ、ふむふむと思う内容が書かれていました。

 将来を不安に思うと、貯金、節約とかのマネー本が多い中、この本は将来の自分の為に、「月5000円でも、1万円でも、自分への正しい投資」をして、「60歳になったとき月10万(もちろん人によっては15万でも20万でもOK)」稼げる自分になろうという事が書かれていました。

 こんなに具体的な数値は考えていなかったものの、同じことを私も考えていたので、私としては応援された気持ちです。私が仕事を辞めたのも、日本人の平均寿命から言えば、人生80年超え、あと40年近くできる仕事を考えると40からでも遅くないという考えからでした。

 たまたま、私の父も今も現役(70オーバー)で仕事をしていて、思春期の頃は私より遅く起きてきて、夕食には必ず食卓にいる父をちょっとやだなーと思っていましたし、退職金みたいなのがドーンと入ってくることもなかったので、ちょっと心配でした。でも、いま70オーバーで、60歳定年で一般サラリーマンがもらう退職金よりも稼いだと思うし、結構そういう生き方もいいかもと思い始めていたからです。

 それには、大きな勇気と行動力がいるけれど、この本を読むと、こんな私でも出来るような気がしてくるし、勇気づけられます。私であれば、60歳まで20年弱、60歳になっても稼げる自分への投資はいまからでも遅くない。そう思ったら、なんだかやりたいことがいろいろ出てきて、昨日は手帳にメモったほどです。 なんだか、勇気をもらえました。

 話は変わりますが、シルバーウィークに栗拾いに行きました。今までは観光農園のようなところで拾ったり、白馬の姉の家の近くで拾ったりはしましたが、今回は近所の友人のご両親の家の庭で拾わせてもらいました。小ぶりだけど、なんとなく栗らしい味がして、おいしかったです。私はめんどくさがりなので、圧力なべで茹でて、柔らかくなったのを剥きました。どうしても渋の色が出て、剥いた栗のまわりが黒くはなってしまいますが、まあ自宅用なのでよしとしましょう。(綺麗な栗ご飯にしたければ、生で剥いたほうがベターです。)

 四季の旬のものを食べるって、やっぱりいいですね。日本人に生まれて良かったと思う瞬間です。

 では、よい1日を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月24日 (土)

リスクについて考える

こんにちは。

先週末からまた高熱を出し、ダウンしていました。
やっと元気が出てきたものの、寒風にさらされると悪化しそうなので、今日は家から一歩も出ない予定です。

先日読んだ、堀古英司氏が書かれた「リスクを取らないリスク」(The Risk of Not Taking Risks)。

著者は毎朝見ているテレ東のモーニングサテライトに、たまにゲストで出演されています。先日も出演しておられ、以前から何回か拝見してましたが、キレがあり、分析と自信にあふれる話し方を目にして、この方はどんな方だろうと思っていました。amazonで調べると著書があったので早速、購入し読んでみました。著者は現在、ニューヨークでホリコ・キャピタル・マネジメントでLLC最高運用責任者として、世界の中心とも言える金融の現場でビジネスをされています。

リスクを取らないことが賢いというような風潮が日本にはあるのですが、この本ではそれだけが得策ではないということをわかりやすく、説得力を持って書かれています。

私自身、もちろんレベルや規模の違いはあれど、ここ数年、仕事において、”大きな仕事をしようとしたら、リスクを取らざる得ない”逆に言えば”リスクを取らずして、大きな仕事はできない”とずっと心に呟きながら来たので、この著者と同意見で、とても共感してしまいました。

この本の中でも、著者が日本の銀行の為替資金部で為替ディーラーとして配属されたときに、同じように為替ディーラーになってもポジション保有するということが仕事でもポジションを保有しようとしない人がいるわけで、人間にはリスクを取りたがらないという性質があるのは事実ですが、なんだかとてもうなづけるものでした。
為替ディーラーにおいてポジションを保有すること、私の仕事ではツアー企画して販売すること、そして、そこから利益を出すのが本来の仕事。でも、私の仕事もそのリスクを取ろうとする人が少ないのでした。

リスクについては様々な考え方があります。リスクを取るのが、正しいとかそういうことでなく、そういう考え方があるということ。

20年近く前なので、随分前の話ですが、私は広告代理店の営業マンだった時には取引先のリスク管理(いまから思えばリスク回避?)をしつこいほど上司に言わましたし、なにかリスクの予兆があれば、すぐに対応して負債を抱えないようにすることが先決でした。優れた営業マンはリスク回避をできることみたいなことも言われましたし、その置かれた立場によって、もちろんリスクとの向き合い方は違うのだと思います。

個々で言えば、転職することもリスクです。この本の中でも著者が銀行をやめるうえで、(転職しなければ)後で後悔することになるかもしれないリスクの大きさということを書いており、そういう考え方もあるのです。

ニューヨークの幼稚園のモットーのひとつが「リスクテイカーになれ」というのがあるとも書いてありましたが、これは全くの日本の教育にはない発想ですし、驚きです。

偶然にも、私自身最近、少しづつ以前とリスクについて考え方が変化していたので、改めていい機会を与えられたような気がします。

The_risk_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月11日 (日)

ベストセラーを読んでみました。

2015年が始まりました。

昨年はあまりいいことがなく、0成長と書きましたが、まあそれでも個人としては多少は成長したかな・・・などと思ったり。とはいえ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
いつも、平日の朝は池谷亨キャスターがニューヨークから中継で出るので、それを楽しみにテレ東の「モーニングサテライト」を見てから、出勤するんですが、そこでビジネス書ランキングをやっていて、ながらく1位を取り続けているのが、「嫌われる勇気」です。

Kirawareru 初めて書店で見た時には、いかにもベストセラーを狙った系のタイトルに感じて、かなり拒否反応だったのと、そもそも私は嫌われる勇気を持ち合わせているという自負があったので関係ないと思っていたんですが、アドラー心理学についての本だと聞いて、急に読んでみようと思ったのでした。それに、なんだかここのところ、もやもやする気持ちも自分の中であったというのもあります。

自己啓発とかいう言葉が、数年前までは、自己啓発セミナーみたいなものでしか聞かなかったので、私の中ではなんだか気持ち悪い・・・みたいなイメージでしかありませんでした。しかし、自己啓発の源流とよばれるアドラーについては、最近知りたいと思う内容の一つでした。アドラーがウィーンの出身というのも気になるところ。ウィーンという町からどうしてそんな人物が出たのかというのも気になります。

この本は哲人と青年の会話形式で展開します。第1夜では、アドラーの言う「目的論」で考えれば、過去の出来事に基づく因果に縛られず、人は今すぐにでも自分が変わろうと思えば変われるというようなことが書いてあるんです。とはいえ、そんな簡単にはいかないと、この本に出てくる哲人に質問をする青年も言い、読者もそう思いながら読んでいるんですが、全くの発想の転換を求められるんです。人は一般的には自分の生い立ちやら過去の出来事により、自分はこうなったと考えがちですが、アドラーはその過去の生い立ちやら出来事を理由にしているのは自分自身であって、簡単に言えばそれを言い訳にしているのは自分自身ということなんです。

第2夜では”全ての悩みは対人関係”とあって、まさに今の私にぴったりでした。そして第3夜は”他者の課題を切り捨てる”では他者の問題には親子であっても介入しないということです。私自身が年末に感じた違和感も他人に介入されすぎたことが原因だとわかりました。

そして、私も評価されなかったなどと思ってしまった浅はかさを反省したのでした。この本のなかにあるように「他者の期待を満たすために生きているわけではない」、逆に他者も私の期待を満たしてくれない訳です。”他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとり介入させない”ということが大事だと実感。私の周りには私にパワハラをしてくる人と、それを擁護しようとお節介を焼いて介入してくる人と他人が介在しすぎることが問題なんだと改めて理解しました。
本書は嫌われる勇気について本題に入っていくわけですが、なんとも自分に語られたようでした。本は、不思議と自分にぴったりとしたタイミングで出会い、何かを教示してくれるとこがあるんですが、まさにそう感じました。

この本を読んで、人との距離感というのがやはり大事だと思いました。信頼しているから、離れてみていられるという距離感は友人でも、親子でもあるのではないでしょうか。

学生の時に親に勉強しなさいとか、交友関係にとやかく言われないということは、親への信頼感を感じ、自分で考える機会を持つことができるし、大人になるということを実感できる過程でもあると思うし、旧友となかなか連絡が取れなくてもいつでも同じような時間が過ごせるという気持ちの持ちようは心を穏やかなものにさせるのではないでしょうか。

新年早々ディープですね。今年はどんな1年になるのでしょう。
皆様にとっても心穏やかなよい1年になりますように。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年5月26日 (日)

DRESS 第2号、Goodです。

DRESS 第2号、Goodです。
先月創刊された雑誌DRESS。創刊号は前評判と期待が大きすぎたし、大草さんのスタイリングが見たいと期待してた人には若干期待はずれみたいなところがありましたが、第2号はなかなかいいです。

表紙の米倉涼子さんは突き抜けた強さというか、憶さないところが好きです。やわな男では手出しできないみたいな高潔さがあります。先日、お客様のレセプションで生で拝見した米倉さんはほんとナイスバディで、そしてスッキリした性格みたいなものが見てとれて、素敵でした。

先週ラジオで大草さんが出演していて、もう40代はじゃんけんで言えば、負けとアイコは着ないと言っていて、負けだけでなく、悪くない=アイコも着ない。ほんとにいいものだけ着るといっていて、たしかにそうだよねと思ってしまいました。

DRESS第2号はそんなテイスト満載でなかなかです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月25日 (金)

ダン・キホーテ

金曜の夜はホッとする。眠かったのに眠気が覚めた。

ビールが切れてしまったので、一人じゃワインはやめて、こういう寒い日には焼酎のお湯わりをちびちび飲む。

そして、ここ最近読んだ壇一雄の『火宅の人』と壇の妻ヨソ子さんが口述した内容を書いた、沢木耕太郎の『壇』について考えたりする。こういうのは至福の時間だ。この二つを読むとよりリアルに壇一雄という人に迫れる気がする。

偶然にも私の亡き祖母と全く同じ、明治45年の2月に生まれた作家壇一雄にこんなに心酔するとは、この本を読み始めたときには全く想像しなかった。

この小説は自伝的と言われていて、思わず壇自身とこの小説の主人公桂と重ねて読んでしまう。

その小説の冒頭は昭和29年からの3年間に落石事故や次男の日本脳炎の発病とともに"恵子ト事ヲ起コス"とあり、凶事が重なったとある。

妻は5人の子供たちと石神井で家を守り、壇は恵子といくつかの家を移りながら暮らし、ときどき家に帰り、長旅に出たりする。

自分で煮炊きをするのが好きで食材を買い出しにいく様子や料理を人に振る舞ったり、そんな姿はイキイキというかウキウキとしている感じが伝わってくる。

恵子との関係も時間がたち、徐々に変化していく、その間に日本や海外の旅があり、読者を飽きさせずに進んでいく。そして、最後まで読むとジワッと胸に来るものがあるのだった。そして、壇という人物を見直したりする。

なんと言っても、豪快にして繊細なところがあり、細やかな優しさがある人なのだ。さらに食べ物を美味しく食べるというセンスがある人なのだ。(意外と美味しいものに感覚が鋭いタイプと鈍いタイプがいると思う)特に男性で美味しく食べるセンスがあって、美味しいものを見つける感が鋭いという人は魅力的な人が多いと勝手に私は思っていたりする。

『火宅の人』を読んで、作家はこうであってほしいなーなどと思ったりする。このぐらい豪快で、放蕩で、女好き(人のぬくもり好きか)、食い道楽、金に頓着しない。人間味溢れていて、人懐っこさがあって、憎めないところもある。そして、壇の作家として生きた昭和っていいなと思う。

心酔しました、ダン・キホーテ。

Dan_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月27日 (木)

揺さぶられる

揺さぶられる
私がアーウィン・ショーの作品を読んだのは今回で二冊目。

こないだの『ローマは光のなかに』はたまたまローマを舞台にした小説を読みたいと思って、検索していたら見つけたのでした。思いがけず、いい作品でいままで全くアーウィン・ショーを知らなかった自分の無知を感じたりします。その解説にショーの傑作と言えば、ルーシィ・クラウンとあり、早速の購入したのでした。

今回読んだ邦題『ルーシィ・クラウンという女』はなんというのか、途中から登場人物達の苦しさが読者にも乗り移ってしまうような切迫感があり、私もこの数日苦しい気持ちが続いていました。実家の母に夜遅くまで本を読んだりしてないで早く寝なさいと、私の生活ぶりを見てもいないのにまさに的中で指摘されて、はっとしながらも、翌朝だるさに苛まれても、読まずにはいられませんでした。

冒頭はパリのナイトクラブのバーで夜食を取りに寄った美しかったであろう女。そして、その女は店主にカウンターに座っていたハンサムな男の名前を聞く、店主はその女に彼には素敵な妻がいると忠告するがその女の名前はルーシィ・クラウン。そのカウンターの男は自分の息子だと言うところから始まる。

時間を遡り、舞台はニューヨークの郊外の避暑地。オリヴァ・クラウン、妻のルーシィ、13歳の息子のトニィーは夏を別荘で過ごし、オリヴァは仕事のために自宅に戻り、ルーシィとトニィーはそのまま別荘に残ることになった。というのもトニィーは重い病気からやっと快復したところでもう少し静養させたかったこともある。それでも秋からまた学校も始まるので、いままでの療養中に母とべったりになってしまった息子を普通の子供と同じような生活にし、活発さと自信を取り戻すようにとオリヴァはブラウン大学に通うジェフという青年を選び出し、オリヴァのいない別荘での日々を過ごす家庭教師兼遊び相手として雇った。ルーシィはこの夫オリヴァの独断を受け入れがたかったが、トニィーがあっという間にジェフと意気投合し、楽しく過ごしているので受け入れ、早速オリヴァに手紙でうまく行っていると伝えたのだった。それから間もなくジェフがルーシィを実は昨年もこの別荘地で見かけ、恋い焦がれていたことを告白し、ルーシィは冗談として受け入れなかったが、オリ
ヴァとの些細ないさかいをきっかけに、ジェフと関係を持ってしまい、
そのことをトニィーの友人でジェフに憧れる少女スーザンが目撃し、トニィーもルーシィとジェフが二人で裸でいる現場を目撃してしまう。トニィーは理由も言わず電話で父オリヴァを別荘に呼び、ことの次第を話した。そして、オリヴァは二週間ルーシィとトニィーの二人を別荘に残したまま、自宅に戻り、考え抜いたあげく、結局はルーシィを許すと決断して二人を自宅につれ返すつもりで別荘に戻った。二週間の間のルーシィとトニィーはいままでの母と子の関係が全く崩壊し、トニィーはルーシィに話しかけなくなった。そしてトニィーのルーシィに対する軽蔑の眼差し。ルーシィはオリヴァに別れたいと言った。オリヴァと別れないなら、もう息子とは顔を合わせないと決めたと告げ、別荘に残った。オリヴァはルーシィを尊重し、自宅にトニィーだけ連れ帰り、トニィーは秋から寄宿学校で過ごしはじめた。

それから、ルーシィとトニィーが会うことはないまま2年ほど経ち、トニィーが16歳の感謝祭にオリヴァはいつものように学校に面会に行き、そのままトニィーを寄宿学校の置いたままにするつもりでいたが、息子の成長を見て、自宅に急に連れて帰りたくなった。ルーシィはオリヴァと二人で旅にでるつもりだったので、トニィーの帰宅に困惑したが、感謝祭らしい手料理を作ったりして一件穏やかそうに過ごしたが、珍しくその日に限ってオリヴァの知人とフットボール観戦で会い、その知人と娘が親しげに自宅にやって来た。その下品な知人と親しげにやり取りする父を見て、トニィーはかつての非の打ち所のないかつての父でなくなったという印象を受け、ルーシィにこんな父にしたルーシィを恨む、もうルーシィと縁を切りたいという言葉が辛うじて消されていた置き手紙を残して、寄宿学校に帰っていった。

それからいろいろな事が置き、母子はあわないで15年以上の時間が過ぎた。トニィーは戦死したオリヴァの葬式にも来なかった。

そして、パリのナイトクラブのバーでの目撃。そして、再会するが…。

再会に至るまでの、そのオリヴァ、ルーシィがそうなるに至ったいきさつ、生い立ちなどが回想され、ルーシィは一人になり、息子に再会し、そこでも二人の関係は一筋縄では行かず、ルーシィの気持ちの全告白があり、もうそのころには読者も打ちのめされ、苦しさの中にもがくという感じでした。

結局のところ、その夏の"よろめき"(訳者が使った言葉)が一家を打ちのめし、崩壊させ、それぞれに罪を負い生きた長い歳月が書かれており、もう久し振りに私も読者として打ちのめされたのでした。

こんな小説も絶版になってしまい、残念でなりません。私が欲しいと思う本は絶版ばかり。このごろ気になる本で絶版になっているものはすぐ買わなくちゃと断捨離アンながら思ってしまいます。

2012年の私の一冊は『ローマは光のなかに』だと思っていましたが、断然『クラウン・ルーシィという女』です。(英語の原題が"クラウン・ルーシィ"なのに、"という女"と付けるのは何故かなと思いましたが、読み終わるとなんとなく訳者の気持ちがわかります。)

苦しくなりますが、心を揺さぶられる一冊です。
今年一番のお薦めです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧