2009年9月23日 (水)

『1Q84』読みました。

 5連休のシルバーウィークも終わりですね。だいぶ前に読み終わっていたんですが、なんとなく延ばし延ばしになっていた『1Q84』について、書いてみようと思います。

 連休前に読売新聞を読んでいたら、続編をすでに村上氏が執筆中で、来年にも刊行予定という記事が出ていました。たしかに、謎のままの部分が多いし、上・下巻でなく、BOOK1、BOOK2という表記も何か、続編を感じさせるものでしたが、やっぱり!と嬉しい気持ちで読みました。

 今現在、新聞などの書評などもスクラップしたものの読んでいない状態で、さらに他の人も感想も聞いたりしていないので、あくまでも私ならではの視点で書きます。

 今回私はストーリーそのものについてはあまり触れるつもりはなく(これから読む人もたくさんいると思うので)、それよりもストーリーを形成するディティールにとても関心をもったので、そこら辺を書いてみます。

 本というのは出会うべくして、タイミング良く自分のもとに舞い込んでくると私は思っています。自分の心理状況を反映したように、ヒントになる言葉を詰め込んだような本と出会うような気がします。『1Q84』についても、今回とてもそんなことを感じたのでした。

 この本は主人公青豆♀と天吾♂のストーリーが交互に展開されます。二人は29歳同士で、市川の小学校に通っていた10歳のときに、同じクラスに在籍していました。

 青豆は10歳の時以来、ずっと出会うことのない天吾のことを愛し続けています。彼がどんな風な状況で、どんな風貌になっているかさえも知らないのに、じっと10歳の時の記憶のまま、彼を愛し続けています。ぴょっとしたら永遠に巡り合えないのではないかと、友人のあゆみは青豆にたずねます。そんな会話の中の一節にこんな言葉があります。

 <quotation>

「しかし誰かを愛することができれば、それがどんなひどい相手であっても、あっちが自分を好きになってくれなかったとしても、少なくとも人生は地獄ではない。たとえいくぶん薄暗かったとしても」

 そんな風に思える何かがあったら、それは不変だと思うし、もしかしたら何かを信仰したりするのと同じくらい強い何かになるかもしれないと思います。でもそれは相手が人間であるから、実際に会って身近に感じられたら、そんな風に思えないのかもしれない。そんなことを考えました。でも、そんな風に思えたら、本当に少なくとも人生は地獄ではないのかもしれません。

 もう一か所は本文でも太字で表記されているんですが、ちょっと謎の男(BOOK2まででは、謎のまま終わる)新日本学術芸術振興会専務理事という肩書を持つ、牛河という男の言葉。天吾の前に現れて、300万の年間助成金を渡したいと言い出す。そして、断る姿勢の天吾と何回か会話する中で発せられる意味深な言葉。

<quotation>

 私が言いたいのはですね、世の中には知らないままでいた方がいいこともあるってことです。たとえばあなたのお母さんのこともそうだ。真相を知ることはあなたを傷つけます。またいったん真相を知れば、それに対する責任を引き受けないわけにいかなくなる。

 この二つのパラグラフはなんとなく、今の私の中で引っかかる言葉でした。ストーリーそのもの面白さだけでなく、その登場人物たちから発せられる言葉になにか村上氏からのメッセージというか、そういうものを感じられるんですよね。これは『1Q84』に限った事ではありませんが・・・。

 もうひとつ、これはほんとにディティールというか、村上春樹氏らしい、センスの良さというか、登場人物のイメージを膨らませるところでもあるんですが、天吾が週に1回会っている年上のガールフレンド(のちに安田恭子という名前だとわかりますが)が好きだった、バーニー・ビガードのクラリネットについて語る様子が出てくるんですが、こんな風に語れる女性は素敵だなっと思ったのでした。

<quotation>

 LPのB面六曲目の『アトランタ・ブルース』が始まるたびに、彼女はいつも天吾の身体のどこか一部を握り、ビガードが吹くその簡潔にして精妙なソロを絶賛した。そのソロはルイ・アームストロングの歌とソロとのあいだにはさませていた。「ほら、よく聴いて。まず最初に、小さな子供が発するような、はっとする長い叫び声があるの。驚きだか、喜びのほとばしりだか、幸福の訴えだか。それが嬉しい吐息となって、美しい水路をくねりながら進んでいってどこか端正な人知れない場所に、さらりと吸い込まれていくの。ジミー・ヌーンも、シドニー・ベシエも、ピー・ウィーもベニー・グットマンも、みんな優れたクラリネット奏者だけど、こういう精緻な美術工芸品みたいなことはまずできない」

200909222044000  そんな素敵な枕話を書けるのは、村上春樹さんしかいないと思ったのです。そして、唯一持っていて、ずいぶん前に買ったサッチモのCDを取り出してみたところ、そのガールフレンドが話していた、『LOUIS ARMSTRONG plays W.C HANDY』だったのです。その嬉しさったらありません。早速、『アトランタ・ブルース』(CDなのでB面でなく、11曲目でした。)を聴いてみました。そうしたら、本当に小さな子供が発するような、はっとする長い叫び声 があって、あっと思いました。

 ちょっとしたところにも村上春樹さんらしさを感じて、私はこの本をすぐに読み終わってしまうのがなんとなくもったない気がして、この本の途中に2冊ほど別の小説を読み、わざと読む期間を長くしたりしてみたほどです。

 読み終わってしまうと、なんとなく寂しく、あの村上春樹氏の話の世界に戻りたい気がしたし、いつもそうなんですが、いつの間にか主人公である天吾に恋こがれてしまっているのでした。

 ディティールばかりの解説になってしまいましたが、こんなところに私は村上春樹さんの素敵な部分をいつも感じているのです。続編が出る前に読んでおくと、続編が出るまでの期間も待ち遠しく楽しめるかもしれません。

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2009年6月19日 (金)

はじめました!

 先日、よく寄る喫茶店で”ところてんはじめました。”という張り紙をみました。夏が近づいてるというか、”冷やし中華はじめました。”みたいに、なにか懐かしい感じがしました。

 それは、さておき最近2つ始めました。

200906172152000  1つ目は”ペットボトルのキャップ集め”。今更ながらですが、最近浄水器が壊れて、水を買うようになったら、やたら貯まるようになったので、集めてます。寄付する団体によって、内容は違うようで、あるところではドラム缶いっぱい位集めると車いすになるとか、400個でワクチン1本だとか、あるようです。私のはワクチンになる方向で集めてます。まあ、こんなことだけで、多少なりとも誰かの役に立つならば、積極的にやりたいって思います。

200906191959000  瑣末なことも入れるといろんな事を始めて、首が回らなくなりそうな今日この頃だったりもする私です。

 2つ目は、そんなこんなでちょっとばかり「やっちまったなー。」と最近出ないけど結構好きなマミーポコじゃなくて(笑)クールポコのセリフが浮かんできつつ、村上春樹著の”1Q84”を今日書店で見つけて買っちゃいました。そして、読み始めました。冒頭から気になる始まり。流石だと思いながら読んでます。

 昼間は子供のことを中心に、夜のほんの少しの自分の時間にやることがいっぱいなのにさらにこの本も丁寧に読みたいし、葛藤の中で買いました。今まで読んでいたマルク・レヴィの「永遠の7日間」を急いで読み終え、感想文を書いて、”1Q84”を読み始めましたが、明らかに自分自身の本に対するボルテージの違いを実感せざるえません。

 あー、楽しみでしかたありません。

  

 

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2009年2月 5日 (木)

『P.S.アイラヴユー』読みました

200902051410000  先日、この本セシリア・アハーン著で林真理子訳(珍しいですね。)『P.S.アイラヴユー』を図書館から借りておきながら、あまり面白くないかな?とスロースタートだったために、返却期限までに読めずに面白くなってきた中盤のところで返却してしました。そして、今週になって手元に来たので、今度は一気に読みました。DVDのレンタル開始がもうすぐだと思うので、その前にぜひ読んでおきたいと思っていたのでした。とても読みやすい本でした。

 主人公のホリー♀は、愛する夫ゲリー♂を脳腫瘍で失い、失意の中暮らしています。仕事もなく、誰とも会う気もせず、家の中にこもる日々を過ごしていました。

 そんなある日、彼女の実家に亡くなったゲリーからの小包が届き、そこには封筒に入った10通の手紙がありました。

 そのゲリーからの手紙には毎月一通づつ開けるようにあり、彼女は毎月1日になると矢も盾もたまらずその封を切るのでした。そのカードには、まるで彼女の生活を見透かしたような彼女に対する短いけれど、心のこもったメッセージが書いてあるのでした。

Sub9_large  * * * *  *  * 

 彼女は手紙の言葉に導かれるように行動します。夏には手紙とともに、ゲリーはホリーにその親友のシャロンやデニーズとともにスペインのランサロテのバカンスを用意していたりします。彼の言葉によって彼女は少し背中を押され、生きていくことに前向きになろうとやっと思えるようになっていく過程がよく描かれています。

 そんなホリーを支えてくれた彼女の家族たちや親友シャロンとデニーズ、だんだんと気になっていくダニエルなど、周囲の人々との関係も読みどころでもあります。

 特に女友達であるシャロンとデニーズは常に彼女のそばで、親身に話を聞き、一緒に馬鹿ふざけをしてくれたり、女友達っていいなって思える存在です。ですが、シャロンの出産、デニーズの結婚を前にとても自分のことのように嬉しいのに、素直に喜ぶことができないホリーでもあります。そんな自分が時にはいやになり、友人とぶつかりながら、でも少しづつゲリーがいなくても生きていくということを模索していくのです。

 私が注目したのは、この女友達との関係。親友というのは常にライバルであるのかもしれません。いつもとても気になる存在で、いつでも同じ舞台で気になりながら過ごしていたい。よくわかりすぎるゆえにホリーのように複雑な気持ちを抱くのではないのでしょうか。

 ホリーは不特定多数の人に憐みの目で見られたり、慰められるのがいやで人目に触れず過ごしていました。でも近くに住んでいるのに、慰めに来てくれないなんて友達甲斐がないとも言います。改めて友人との関係、距離感というのは難しいと思ったのでした。

 状況は違えど、私も同じような気持ちになったことがあって、友人たちが子供を産み、母になっていく。とても嬉しいのに、素直に喜べない時期がありました。私の場合はそっとしておいてもらうことを望みました。だから、逆の立場だったら、そっとしておいてあげて、少し離れたところから見守ってあげるというのがいいのではないかと思っています。この話のホリーとは似ているところもあるけれど、ちょっと違う考えです。真の友人はそばにいるって思うんです。会えない時には心の中に。たとえ今は会えなくても友は戻ってくる。それぞれの友情の感じ方はさまざまです。私の友たちは理解してくれているだろうか、たぶんいるよね、と...。そんなことをこの本を読みながら考えました。

 話はそれましたが、そんな友人との関係や、だんだんと気になりだすダニエルとの関係も話の展開としては気になります。ホリーの約10か月という時間の経過を読むことで、結局は時間が物事を解決するんだと改めて感じるのでした。

 映画はどんな風に表現されているのでしょうか?気になるところです。

 

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2009年1月20日 (火)

自分を褒めてみる!

 あまり自分を褒めるようなことはないんです。メダルを取ったわけでもないし・・・。ですが、もう2009年になったので、昨年2008年のおもに下半期に読んだ本の感想文をプリントアウトしました。

200901202007000  昨年読んだ本は、実用書を除いて、小説を中心に33作品。ちょっと少なかったけれど、まあよしとしよう。

 プリントアウトしてみると、結構ちゃんと読んだ気がする。2008年の読書の中で印象に残るのはやっぱり、『コレラの時代の愛』。前から読みたかった作品だし、人生捨てたもんじゃないと思える気がした。

 2009年は、スペインのフィゲラスのダリ美術館で買ったノートに感想文を書くつもり。今年はどんな本を読むのだろう?

 本を読むというライフワークは、私の唯一褒められること。

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2009年1月18日 (日)

ちびりちびり、読んでました。

Wein  先日書きましたが、春江一也著の中欧三部作の『プラハの春』『ベルリンの秋』そして、最終となる『ウィーンの冬』をこの度、読みました。

 かなり、時間がかかり、ちびりちびりですが…。samantaさんに約束していたこの感想を書かなくては、と思いつつ、先のばしになって遅くなってしまいました。

 限られた時間の中でブログを書いているので、私の率直に感じたところだけ書こうと思います。

 主人公で、外交官の堀江亮介が赴任している地で、起きた革命と彼の恋愛を中心として描かれた前二作。第一作目では、プラハの春の革命とカテリーナとの愛について、第二作ではペレストロイカの流れとともにベルリンの壁の崩壊、カテリーナの娘シルビアとの愛を中心に描かれていましたが、第三作目では、東西冷戦は終結した90年代に話が移ります。今回は恋愛話は全くと言っていいほど無縁で、特務でウィーンに行くことになった亮介はドイツにいる病気のシルビアに会うわけでもなく、電話でシルビアの死の知らせを聞くという、前作までを読んでいる私としては、あっさりしすぎで、それはないんじゃないかと思うほどです。

  今回はあの忌まわしい日本で起きたカルト教の事件を下地に書かれていて、北朝鮮が話の中心にあがってきます。どこまでがフィクションなのかノンフィクションなのか、日本にいるからこそ、よくわからなくなります。

 前二作は、私がよく知らなかった革命のことが書かれていたので、どれを読んでも新鮮で心を揺さ振られるような気持ちになりましたが、今回は正直なところ、そういうことはなかったです。

  でも、ストーリー性は前作とかわらずスリリングで気になる展開だったと思います。

  『課長島耕作』が社長になってもつい読みたくなってしまうように、堀江亮介も年をとっていき、その哀愁なんかもひっくるめて、読者としては目が離せないんですよね。

  前二作を読んだ方には、これは同じ人が書いているのかと私のように若干疑う人もあるのではないでしょうか。それくらい、前作とは趣が違います。それと私的にはちょっと引っ掛かる国防についてタカ派的な考えが、亮介の言葉を借りて出てきます。官僚らしいなとちょっと思っちゃいます。

  私の感想は率直ですが、偏りがあると思うので、文庫にもなってますし、借りたりして読んでくださいね。

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2008年10月15日 (水)

誇り高き”あぽやん”

Apoyan_2  今年の春出版されたばかりの”あぽやん”を読みました。

 APO。旅行業界では空港のことをスリーレターでAPO(私たちはAPTともっぱら書き言葉で使ってたけど。)といい、そこで働く人たちを”あぽやん”というとこの本には書いてあります。

 私が勤めていた旅行会社は小さくて、空港業務は外注だったので、そういう言葉を使ったことはありませんが大手の旅行会社では空港業務を自社でまかなうところもあるので、そう使うのかもしれません。

<quotation> ツアーの出発点となる空港で、様々なトラブルを排し旅客を無事に送りだす空港のエキスパートを、賞賛を込めて呼んだのが始まりのようだ。

  社内での位置づけや、金を生み出さない現場軽視から、最近では閑職の意味合いが濃く、本社では使えないというような意味合いも含まれる悪い意味で使われるようになったようです。

 そんな”あぽやん”に、異動でなってしまった入社8年目の主人公遠藤君の奮闘と、少し恋バナを書いたお話で、なかなか面白いです。遠藤君の周りには、「笑って、笑って」が口癖で、いまいちだらしのない雰囲気の今泉、クールで口数少なめ、仕事以外に予定のなさそうな田波、元板前でお客様は家族だという堀之内、物静かでダンディーな住田所長、空港を彩り支える女性スタッフ。

 空港では、いろいろな問題が発生します。予約が落ちてたとか、いつも出発しないのに予約するお客さんだとか、やくざまがいのお客さんがいたりとか、本社や取引会社の説明不足や丸投げでお詫びするはめになったり。でも彼らあぽやんは、本社よりも、お客様重視で、お客様に笑顔で出発してもらえるように、粉骨砕身で頑張るんです。

 結構笑えることが多いのですが、とってもヒューマンで、そうそう空港ってそういうところだよねって、思うんです。それはいくら、コンピューターでなんでもできるようになっても、やっぱり旅に出るのは人間だから。Eチケや自動チェックインが導入されても、それがすべてではないんですよね。

 たしかに、大手の旅行会社の添乗を請け負っていた頃、関連子会社、空港所の所長と出向する人たちを見かけたし、どうみても所長じゃないけど、空港の仕事、長そうだっていう中年のあぽやんを見かけました。おおむね女の若いスタッフが多い中で、そう遭遇することは少ないけど、あぽやんって言うと彼らのイメージと重なるものがあります。 

 たしかに、旅行業は儲からないし、給料も良くないけれど(それを理由にして辞めて行った人も結構いるけど)、それでもそういう仕事を愛する人がここにもいるんだと思って。旅行業では、あぽやんも添乗員も最終ランナーで、誰かに代わってお客様に頭を下げなきゃいけない時も多い。悔しい思いをする時も多いけど、やっぱりお客さんにいやな思いで旅をしてほしくないというのがあるんですよね。”あぽやん”を読んで、ここにもそういう人がいたと思って、嬉しくなりました。(営業は営業で、ケチがついた旅行にならないように細心の注意を払って、仕事してこれも大変なんですが。)

 自分の仕事に誇りを持つということを、改めて感じた気がします。誇りを持って、仕事してる人はかっこいい!

 旅行業界に関係なくても、”あぽやん”は読んで楽しめるお話です。

 

 

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2008年9月30日 (火)

やっと『コレラの時代の愛』を読みました。

 すっかり、秋らしくなり、夜には秋の虫たちの声が聴かれるようになりました。夜に一人の時間ができると、ビールを片手にほぼ毎晩、読書を愉しんでいました。ビールもちびりちびりという感じでしたが、今回の読書も大作であったため、毎日少しずつ歩を進めるように、ちびりちびりと読んでました。

Garcia_marquez_2  今回読んだ『コレラの時代の愛』は1927年、コロンビア生まれの作家で、ガブリエル・ガルシア=マルケスの作品。以前から読みたかった本でした。初めて、この本の題名を私が知ったのは、以前ブログにも少し書きましたが、ジョン・キューザック主演の『Serendipity(セレンディピティ)』というニューヨークを舞台にした映画でした。劇中で二人の男女が出会うアイテムとして、5ドル紙幣とこの『コレラの時代の愛』という本がキーワードになっていたんです。それでずっと気になっていたところ、先日映画化されたので、今回読んでみようということになりました。読み終わったので、DVDが出たら、映画のほうも見てみようと思っています。

 あらすじについては、ほぼ映画のHPのあらすじ書きで、書かれているで、割愛しますが、”51年9ヵ月と4日、男は女を待ち続けていた・・・・・・。”という本の帯が物語るように、主人公フロレンティーノ・アリーサ♂がフェルミーナ・ダーサ♀と婚約までしたのに、彼女から破棄された時から延々続く長い歳月。ひたすら思い続けるフロレンティーナ・アリーサだけに視点を置いているのではなく、フェルミーナ・ダーサ♀と結婚した医師フベナル・ウルビーノ博士♂との夫婦の機微についても書かれていて、その視点が区切れることなく、あちこちに展開されていって、大作で読み応えがあるんですが、飽きずにひきこまれていきました。

 1860年代~1930年代にかけてのコロンビアの地方都市が舞台。51年9ヵ月と4日、フロレンティーナ・アリーサ♂は待ち続けました。何をかというと、フェルミーナ・ダーサ♀の夫が亡くなって、一人になる日を。近くに接近しすぎることなく彼女を一方的に愛し続け、ついにその日が来て、行動にでるんです。

 ですが、彼がその51年9か月と4日、誰も愛さなかったかというと、彼女への愛を自分自身に誓っているので深入りしないように気をつけながら、テンポラリィで、または継続しつつも割り切りながら数多くの女を愛しながら、生きて行くんです。そんな様子や、やっとフェルミーナ・ダーサ♀と心を通じ合わせた時に、若い彼女ではもちろんなくて、すでに72歳の彼女は”たしかに老いの酸化したような匂いがした。”と彼は感じていて、こんなところにもとてもリアリティを感じてしまうのです。

 約500ページに及ぶ大作でしたが、ここまで読者を惹きつける著者の手腕に、コロンビアの大作家といわれる所以を感じました。

 一見すると、こんな話はあり得ないと思うんですが、その表現のリアリティが確かにこんなことが存在するかもしれないと思わせるんです。そして、注目すべきはフロレンティーノ・アリーサ♂がさえない青年から社会的地位もある紳士へ変容し、フェルミーナ・ダーサ♀は少し高慢な頑なさを少女時代から守り続けながら、気品ある淑女へ変容していくんです。そして、同じ立ち位置になって、ベストな状態で正式に再会するんです。ここら辺の描き方もさすがだと思ってしまうんですよね。

 久しぶりに読書の良さっていうものを改めて感じさせてくれる小説でした。自分の人生はひとつしかなくても、小説の中の他人の人生を見ることで、こんな人生もあるんだなと思ったり、今回の小説では老年になると、”酸化した匂い”がするんだーと衝撃を受けてしまいました。ガーン...

 この本が読み終わらないと、始められないことが多くて、いろんな事が頓挫していた私です。この後はちょっとライトな、深く考えずさらっと読める本を読んで過ごそうと思っています。

 ですが、これはオススメです。

 

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2008年9月 1日 (月)

『ノルウェイの森』、3度目の再読

 夜には真夏とは違う、コオロギなどの秋の虫の声が聴かれるようになった今日この頃。読書の秋も近づいてきてますね。

 『ノルウェイの森』の映画化の話を聞いたことについて、先日ブログに書きましたが、そのあと早速、読んでみました。結局、懐かしの私の41刷は出てこずに、図書館で借りて読みました。

 主人公”僕”は37歳で、18年前の19から20歳あたりを回想する冒頭から始まるんですが、私もその冒頭を読んで、とてつもなく懐かしい気分になってしまいました。私にとっても、初めてこの本を読んだのが、18年前だったので、その遠い記憶を思い起こすような気持ちを重ねてしまいました。

 今回3度目の再読なんですが、初回はバブルが弾け、ベルリンの壁が壊された翌年の1990年、2度目は2002年、そして今回3度目。

 恐ろしいほどに、細かいストーリーは忘れていました。でも再読して、この小説の良さをさらにかみしめることが出来ました。いわゆるベストセラー小説と呼ぶのは憚られるような繊細なタッチ。この小説を支持した大人がこんなにこの時代はいたんだと、ちょっと羨ましくなるくらい。

 前回の2002年に読んだときの感想文が出てきたので、それを読んだ後だと、そこにあまり触れられいないところに着眼して読んでいました。これまでは”僕”の親友キズキの幼馴染であり、恋人で、キズキが亡くなったあとに愛した直子に着目して読んでいましたが、今回は、”僕”と同じ大学で、ちょっと風変わりで、でも父と母の看病をして、精一杯に生きる緑に着目してしまいました。

Murakami_2  この小説は実は、対比される人物が何人か登場していて、緑と直子いうのも生と死という対比になっていると思いました。

 ”僕”という人は、大切な人々を失いながらも、生きていく。そして、”生きていくための代償”を払って生きていくという覚悟を決めます。

 私が高校時代に読んだように、同じ世代の高校生、大学生が読んでもいいし、回想している37歳の”僕”のような大人が読んでもいい本だと思いました。

 でも、タフな大人でないと読んだあとには、軽く心が動揺するかもしれません。私は、タフな大人ではないので、読んだあとにまたもや動揺してしまいました....。

 不思議なことに気が付けば、いま私が好んでいることは、この小説の主人公の”僕”と重なることが多く、たぶん高校時代にこの小説に大きく影響を受けて、傾倒し、自分の趣向を重ねたのではないかと思う節が多々ありました。たぶん、『グレート・ギャッツビー』を読んだのも、この小説の影響であると思います。そんなことはぜんぜん覚えていないのですが、この小説を再読して、ふと思いました。

 最後に、主人公の”僕”という人物にとても惹かれます。彼は基本的な自分のこと、身の回りのことが出来る基礎力のある男性で、冗談を言いそうにないのに冗談を言うようなちょっと変わったところもあり、他人に流されないようなタフさを持っているというか、持つような鍛錬を自然にしている人で、高校生だった私も彼に惹かれたように、35歳の私もそんな小説の中の彼にとても惹かれます。

 何度読んでも、読み飽きない本です。

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2008年7月17日 (木)

ちょっと大人な絵本。

200807151514000  先日、フローベールの『ボヴァリー夫人』の絵本を買いました。というか、Amazonのマーケットプレイスでボヴァリー夫人を買おうと思って見ていて、絵本とは思わずに買ってしまったんです。

 ですが、これがなかなか。文は姫野カオルコさんで、絵は木村タカヒロさん。木村さんの絵は色鮮やかに素敵で、姫野さんの文は現代的にアレンジしていて、ポイントをおさえていて、さらに心に突き刺さる。

 帯に”ちょっと大人な絵本。”と書いてあるんですが、ほんとに大人の絵本です。

 あらすじは、184X年のフランス。のちにボヴァリー夫人になるエマは女子だけの寄宿舎で学校生活を終え、温和で免許医になったシャルルと結婚した。結婚生活は田舎の町トストで始まった。ボヴァリー夫人は田舎での退屈な生活と、冴えない夫を愛すことができずに、辟易しながら毎日を過ごしていた。

200807151515001  ボヴァリー夫人は妊娠した。夫のシャルルは妻の気持ちが晴れるようにトストよりも少し町であるヨンヴィルに引っ越した。そこでボヴァリー夫人は丘の上で一人で読書したり、ドイツ音楽に胸打たれる孤独な青年レオンと出会った。彼も彼女に憧れた。レオンは彼女にとって「絵や詩や音楽について話せる異性」だった。ヨンヴィルも彼と並んで歩いただけで不道徳とされる地方の町だった。レオンは法律事務所で修行するとパリに旅立った。

 そんなときに、夫のところに急患で運ばれた男の主人である町外れの大邸宅に住むロドルフ・ブーランジェと出会う。遊び人ともっぱらの噂の男。舞踏会の日に彼はボヴァリー夫人を誘惑した。ロドルフには簡単なことだった。ボヴァリー夫人とロドルフは逢瀬を重ねた。

 ボヴァリー夫人は本気で彼を愛し、逃避行を提案した。ロドルフは厄介なことになったと思っていた。逃避行の当日、彼女はロドルフからの長い手紙を受け取った。彼は彼女と逃避行しなかった。ボヴァリー夫人は失意の中にいた。

 夫のシャルルはふさぎ込む妻を心配し、彼は興味のないオペラであるが、ルーアンまで妻を連れ出した。そこでレオンと再会した。レオンはパリで洗練されていた。あっという間に火がついた。ボヴァリー夫人はピアノを習いに行くといい、ルーアンに毎週出かけ、レオンと愛を確認しあった。

 しかし現実が待っていた。ボヴァリー夫人は人妻で、シャルルが相続した遺産を抵当にいれてまで浪費を繰り返していた。夫のシャルルは鈍感にも自分を許すだろうとボヴァリー夫人は思ったが、薬剤師の家に忍び込み毒薬を飲んで、自ら命を絶った。

 それでもシャルルは妻を愛し、亡骸にすがって泣いた。半年後に彼も亡くなった。

 こんな因果応報の話。最後にこんなセリフがある。

”わたしはただ境遇に身をまかせ、

境遇の波に自分の夢をさらわれてしまった。

失うだけの人生だった。

自分で拓くことなど何もせず。”

 読み終わったあとに、ふーむと思う話です。1840年代も2008年の今も人間のすることはあまり変わらないなと思ってしまいました。

 予想以上に、いい本でした。オススメです。

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2008年7月16日 (水)

マイ・ライフワーク

 今日はわりに涼しいですね。朝から、ベーシックな味わいがいい、井村屋のあずきバーを食べながら書いてます。

 先日、何冊目かの読書感想文ノートが終わりました。読書感想文ノートって、なんとなく小学生のような響きを感じますが、以前にも書きましたが、これを書き始めたのが大学3年のとき。始めてからだいぶ経ちますね。

200807151517000  先日終了したノートはドレスデンのアルテマイスター美術館、ラファエロの”システィーナのマドンナ”(画像:左)のものですが、次はアムステルダムのゴッホ美術館で購入した”夜のカフェ”の絵が入ったノート(画像:右)です。

 この”システィーナのマドンナ”のノートには2005年の後半から2008年前半に読んだ47冊分の感想文が入ってます。

 このノートの目的はどんなあらすじだったか思い出すためにというのと、再読したときにどんな風に感じるかを比較したくて始めました。それと、始めたのは大学生の頃だったので、話の中に小説の話が出てきても分かっているくらいの、大人の会話を楽しめる人になりたかったというのがあったからです。 

 何年も前に読んだ本や映画って、内容を結構忘れちゃうんですよね。よりによって結末が思い出せないことも多くて...。せっかく読んだのにそれって、もったいないなと思って。

 この感想文ノートが新しいノートに変わると、なんとなくウキウキした気持ちになります。”夜のカフェ”のノートには果たして何冊分の感想文を書くことができるかな。

 まさに、読書と読書感想文を書くことは私のライフワーク。今年はたくさん読んで、書けそうです。

 

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